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2011年4月11日月曜日

石原4選

 石原慎太郎が都知事4期目で確定した。政治向きの話はきな臭くなるが、事後分析ということでご理解いただきたい。

 今回上位に入った主要な候補は、石原氏、東国原氏、渡辺氏、小池氏の4名。小池氏は共産党なのでつねに当て馬的な要素が強い。余程、他の候補に魅力がない限りは選ばれないが、一定の支持は獲得した。状況次第では都政を握れらせてもらえる共産党という存在であり続けた。勝算は少なかったと思われるので十分善戦している。

 今回評価が分かれるのは渡辺氏か。和民の創業者兼会長として有名だったし、立ち位置としては東国原氏と人気を二分する形となった。東国原氏が宮崎県知事として著名でなければ、渡辺氏の企業経営者としての手腕に期待が持たれただろう。今後について「白紙」と述べたが、これは頂けない。正直、今回の主要4候補の中では、次の都知事になれる可能性を秘めた候補だからだ。この理由に関しては後述する。

 東国原氏は、2位につけたものの、1位とは大差となってしまった。支持層は、20代を中心に30代の半分位に食い込んでいたとも聞く。宮崎県知事としてみせた手腕と知名度、存在感から言えば極めて妥当な結果だった。震災という、現状維持に傾きやすく、TVでの露出も減る展開になったことは大きく不利になった事は否めない。結果として保守傾向が強まり、革新の機運が潰れたということか。この辺りは、衆院の民主党大勝という革新への反省から、革新的なものへの警戒感が先行したのかもしれない。つまり東国原氏は、期せずして安定志向でなく、革新志向の候補として見られた節がある。若者層の支持を集めたのもそれがひとつの証拠だろう。東国原氏の場合、選挙戦略としてはむしろ、革新より安定安心志向にする方が選挙に勝てるだろう。バランス的には、もう少し重さが必要と思われる。

 今回巷でよく言われるように、東国原氏と渡辺氏で票を奪い合うという展開も見られた。混戦になれば勝機があると思ったのだと思うが、結果として現職優位になった事は指摘したい。

 上記を踏まえて次の都知事選を考えると、4候補の中で圧倒的に優位に立つのは渡辺氏だ。石原都知事はさすがに次回は年齢が制限にかかる可能性が高い。今回の当選も、震災直後でなければ有り得ないと考える。東国原氏は、資金的に勝つか分からない4年後の為に浪人し続ける程の財力はないと考える。元々国政志向が強く、政治家として続けるなら次の衆院選ないし参院選に打って出る可能性は高く、支持が磐石な石原都政の終わりをのんびりと待つ余裕は無いはずだ。

 渡辺氏は、財産もある上に露出機会も多い。今まで強かった介護や福祉方面へ顔を売りつつ、東国原氏よりは保守、石原氏よりは若く、安定的な手腕を持っている点を4年かけてPRしていけば、十分、次の都知事選の本命になり得る。おそらく今後は知事よりも衆院選に注目が集まるため、敢てそこを外して都政に専念する姿勢を見せるほうがPRできる。

 その為には、支持が厚い現職の石原都知事と親密になった上で、大筋で路線を踏襲すること。和民の会長職に戻らずに、都知事候補になることをいち早くアピールすることだ。それさえ出来れば有力候補になり得たが、「白紙」と言ってしまっている辺りはかなり甘い。嘘でも都知事に立候補すると言っておくべきだった。そうする限り、都知事候補の渡辺という肩書きでいられた。つねに顔を売れた。それをしなかったのは大きな痛手だ。所詮名誉が欲しくなった成り上がり者の政治ごっこだろ、と言われないようにしなければいけなかったはずだ。

 加えて、民主党の支援を受けていた。これが渡辺氏にとってはマイナスに作用していた可能性もあるし、今後の政治家活動の戦略において制限が加わってしまった可能性もある。良い立ち位置だったが、本人の甘さで自滅していくタイプかも知れない。

 最後になったが、石原氏は独裁とたたき続けられたし、老害の象徴と言われている。その物議を醸す言動も批判の対象になっているようだ。実際そういう側面はあるだろう。表現の自由問題についても懸念される候補であった。

 若年層において東国原氏が圧倒的だったように、若者層の不支持が強く、反若者の象徴でもある。革新と真逆の勢力というわけだ。今回の当選によって都政に絶望した若者も多いらしい。

 ただ、それでも何故、石原が選ばれたのか? 石原当選はカッチリとした現実なので、きちんと原因を探ることが不可欠なように思う。大きくは安定志向という政治的な理由だ。投票した人の過半数は石原が好きではないと答えるだろうし、別に石原のシンパではないだろう。表現の自由問題についても石原とは逆の立場かもしれない。しかし、政治というのは好き嫌いでなくて、個別の政策でもなくて、どのような流れを生むべきか、なのだ。今回について言えば、悪化するかもしれない変化はもう沢山、ということだったと思う。

 繰り返すが、政治は好き嫌いではなく、よりマイナスの少ない候補で選ぶべき、なのだ。無効票としてはねられる白紙投票に意味はないし、選挙に行かないことにも意味はない。理想的な候補が現れるような奇跡を信じてはいけない。欠点が分かった上で、許容できるか否か、判断していく必要がある。それは老人も若者も変らない政治の真実だ。

 本来、論じられるべきは、石原の良し悪しではない。何が一番マシか、という話だ。それは何を回避するべきか、で決まる。石原は当選したが、当選したがゆえに過去の人でもある。それより石原を当選させた流れを理解する、それが次の都知事選だけでなく、現状分析に繋がることになるはずだ。

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