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2012年9月21日金曜日

左側通行と右側通行

 日本の車は周知のように左側通行で、車は右ハンドルです。世界的には少数派で、たとえばアメリカは左ハンドルで右側通行が原則です。ただ世界で日本だけかと言えばそうではなく、イギリス及びその旧植民地であるインドなどは左側通行です。

 で「面接で何故日本だけが左ハンドルか考えさせる」という記事を読んでムラムラしました。そもそもは、「日本だけが左ハンドルじゃねえじゃん、イギリス忘れるなよ」ということなのですが。

 日本だと侍の刀がぶつかるから、という説があります。私もこれに大賛成です。で、一歩進めると、アメリカは馬に乗ったカウボーイが銃を右の腰に差す。ライフルだとしても、騎馬の状態では利き手と反対に敵がくる方が狙いやすい、という事が考えられます。飛び道具は利き手と反対側に敵がくる方が有利ということです。

アメリカは銃社会であるが故に、左側通行となったということですね。なお、騎馬でもサーベルの場合は逆転し、左側通行になると考えられます。近接兵器は、利き手側に敵がくる方が有利ということです。

 いずれにせよ、常日頃、相手とどのようにすれ違うのが有利か考えられた上での所作だと思うのです。歩行者や馬の通行原則が、車の時代に受け継がれたせいであり、剣の時代の文化と、銃の時代の文化では違うと言うことではないかと。

ちなみにイギリスは島国だから治安が守られやすいという事情があってか、警官が銃を携帯しないことが多い国です。必ずしも携帯しないわけではありませんが、ビクトリア朝は市内の治安の良い地域の警官は警棒やサーベルだけの所持が多く、騎馬警官や指揮官の警部が拳銃を所持していたようです。サーベル(刀)の徒歩の警官や、サーベルを使用する騎馬では左側通行が有利と考えられます。利き手側に相手が来ることを望むわけですね。市内で武器を携帯する最大の組織であるのは警官だというのは自明のことなので、これが左側通行に大きく寄与した可能性は高いと思います。ちなみにイギリスの植民地だったカナダも、そもそもは左側通行で、アメリカの影響により右側通行に改めたようです。同じくイギリスの植民地つながりでは、インドや香港も左側通行で現在に至っています。

 世界への影響力という点では、フランス、イタリア、ドイツが右側通行になった点が非常に興味深いと考えています。よく知らないんですが、この辺りの国は昔から水上交通が盛んで、船の通行原則が陸に当てはめられたのではないかと思います。船は、世界的に右側通行が原則です。これは船の構造に由来する問題なので万国共通なのでしょう。

ドイツは北海貿易、イタリアはベネチアを筆頭とする諸都市が地中海貿易の覇者でしたし、フランスもマルセイユを中心に地中海支配をもくろんで歴史で知られています。港湾都市への物資の荷運びが物流の基本と考えると、港の交通ルールが全国へ拡大しても不思議ではないように思われます。

純然たる内陸国、たとえばオーストリアはドイツ併合前は左側通行だったようです。これはイギリスや日本と同じような理由で、左側通行だったような気がします。

 古代ローマは判明している限り左側通行でした。ローマも軍船はあったはずですが、街道を作成したことで知られるように内陸国にカウントするべきなのかもしれません。右利きが多いから、というのが理由とされています。

内陸国という観点でいえば、古代中国が右側通行か左側通行かは気になります。が、残念ながらパッと検索した限りではわからず。まぁ、以上は裏付けの乏しい空論ですし、イギリスも海上貿易が盛んだったのに左側通行なあたり、欧州が海上貿易で右側通行が原則になった理由づけとしては少し弱い気もします。その辺りは、私としては海上貿易が盛んになった年代のズレや、地中海という内海か、大西洋という大洋を舞台にしての交易かの差に由来すると考えていますけれど。

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