私はDSユーザーはDSに満足していないと書いた。DSは広く安物であると認められたが故に勝利したので、DSが性能的にチープであることを消費者は心理的に否定することは出来ない。
安い方を買ったんだから当然でしょ、となる訳だ。となると、価格と、性能以外で顧客を満足させる必要がDSにはあった。豊富なソフトウェアラインナップというのは確かに魅力だが、DSの顧客層は「安さ」を主軸に商品を選んでいる人たちなので、実はソフトウェアラインナップの豊富さはさして重要ではない。むしろ値段が重要だったとみている。いかに安くゲームをするか。そこに適合するのがマジコンだった。
捕捉すれば、DSを買った人は貧乏人だと思っているわけではない。家計からゲームにかける適正コストを知っている堅実な常識人の集団だったと思う。PSPやPS3を初期出荷で購入する層は、むしろ常識人と言うよりは道楽者の範疇だろう。(ちなみに私は道楽者に分類される。)
問題なのは、従来はこの手のゲームハードウェア競争に常識人が参入するのはもっと後、道楽者による吟味を経てシェアが確定してからだったのだけれど、今世代機では情報が出回る環境が整っていたのか、長く続く太平の時代に人々が飽き飽きしていたのか、発売直後から人々がゲーム機に殺到するちょっと珍しい現象が起きた。だから勝ち負けが明確化する前に混戦が続くという、消費者やメーカーにとって美味しいのか美味しくないのかよく分からない事になった。三国志の盛り上がりのようなものだ。ま、いかにゲームの世代交代が遅れたかということかもしれない。
なんどもいうがDSの購入層が重視したのは価格だ。総予算3万円で、DSとPSPのどちらを買う方が満足できるかという指標だったと言い換えてもいい。PSPはSONYの対抗策により、その指標でジワジワとDSに迫り、追い抜いた。PSPの発売当初の価格は19800円であるが、実際はバリューパックの26000円の価格の方がトータル価格として認識されていた。ソフトを1本足すと3万を超える高額商品だった。現在の定価は16800円である。DSの発売当初の価格は15000円で、3万の予算でソフトを3本くらいは買える計算になる。現在の最上位機種であるLLは18000円だ。先に述べた指標での満足度は、DS有利にスタートしても、SONYが怒濤の追い上げを見せている。ひいき目に見ても、DSとPSPで同予算なら購入可能ソフト数に大差はなく、性能差が如実に出る。
ゲームソフトの非合法利用は古くはSFCやPC98の時代からあって、PCでのエミュレーター以外にも、実機で動くバックアップツールは長い歴史を誇っている。ただ任天堂は、FC,SFC時代は兎も角、バックアップツールの進化したPS、PS2時代はマイナーゲームのメーカーだったし、ROMでソフトを提供したので、違法コピーについての対策は甘かった。ROMなら大丈夫と考えていた節がある。後は違法ツールの販売店を虱潰しに潰せば対策は完了と考えていただろう。PSPやPS3で王者SONYがかなり熱心に違法対策してきたことと対照的で、この点が初期の本体価格にも影響しただろう。
ところがDSの市場は急拡大した上に、ハードウェアの対策は甘く、しかもその全盛時代は長く続いた。しかもDSのユーザー層は、質は求めない代わり、価格と量にうるさい顧客層だったのである。大量のソフトを無料でプレイできるマジコンの存在が知れ渡るや、一気に普及してしまった。国内だけならマジコン生産工場対策を出来たかもしれないが、海外で生産され持ち込まれるマジコン対策には遅れた、というより動けなかった。DSの真の出荷数1位の周辺機器はマジコンで間違いないと思われる。
マジコンが普及したのは、善悪を超越した歴史的事実である。あれは法律上間違っていたと観念論を述べたところで歴史は変わらない。マジコン阻止に失敗し、無料でゲームが出来るという概念を広く大衆に認知させてしまった任天堂の罪は限りなく重い。しかもその風潮に乗って、グリーやモバゲーといった携帯電話のゲーム提供会社が「無料です」のTVCMを展開したあたり、「ゲームは無料で当然」という消費者の誤った認識を助長する事となった。PSPにも違法ツールは存在するが、こちらの方が敷居はやや高かったし、SONYの対策は被害拡大に一定の効果を収めた。任天堂は否定するだろうが、任天堂の罪はSONYより遙かに重い。
DSは、罪を背負って売り出された。性能はチープだけどPSPより安くて面白いです、という罪だ。罪と言うよりは、愛すべき嘘と言うべきかもしれないし、嘘ですらないかもしれない。消費者は、任天堂の嘘に知ってて乗っかった。発売当初は安かったからである。が、安いだけでは満足できないし、ソフトの魅力が重要となる。DSにもPSPに対抗する優れたソフトは多数生まれた。ソフトの出来だけならDSの方が勝ってたかもしれないが、ハードと組み合わせると差は歴然としていた。しかもPSPはゲームアーカイブスによって安価なソフト提供も可能になった。任天堂のソフトがPSPの半額だったら誰も不満は抱かなかったろうが、実際は似た価格帯だった。
消費者は任天堂の嘘に乗っかっていたが、不満は募る。本体は安くても、ソフトの価格差はない。安い方を買ったのに、これはおかしい。本体も値上がる。そこは消費者のあてが外れたと言うべきだが、その不満が、マジコンの登場により一気に解消されることになった。驚異のソフトウェア無料の世界である。しかも消費者は任天堂の罪を知りつつ乗っかっていた。割り切れない思いを抱いていたと言ってもいい。端的に言えば「売れてるんだから、もっと安くしてよ」だ。マジコンは違法な商品だが、任天堂に騙されたと思っているユーザー層に躊躇いはなかった。罪を罪で帳消しにする感覚と言っていい。本体を買ってあげたんだし性能で劣るんだから、無料でソフトくらいやらせなさいよ、という恐るべき主張の飛躍がそこにあった。論理ではなく感情である。
任天堂も、性能差を知りつつDSを売り込んだ阿漕な商売をしている自覚もあった。これだけ普及して、マジコンは違法ですCMを打つと逆宣伝になるという逆効果も考えられたし、なにより消費者からの反発や叱責が予想された。ソフトの減速は痛手だが、本体販売数は伸びて任天堂としての儲けが確保できていたのも大きいだろう。本体も値下げどころか値上げしたので逆ざやにならず、利益は確保してある。裏から手を回しマジコン対策に試行錯誤を繰り返したが、ほとんど効果が上がらないままDSの時代は終わることになる。
DSが売れたそもそもの理由はマジコンとは無関係だ。マジコンがあったからDSが売れたのではなく、DSが売れたからマジコンが登場したのである。しかしながら、マジコンの存在が社会現象としてのDSを加速させたのは間違いない。失速しかけたところに、意外なところから再加速させられたというのが任天堂の正直な感想だろう。
DSのブームを恐らく任天堂は予測していなかった。社会現象だから無理もないが、狙って再び起こせることではない。グリーやモバゲーの例で言えば、任天堂こそ3DSに3Gを搭載して「ソフトは無料です」の広告を打つべきだった。全てのソフトをDL可能にして、ユーザーからは月額固定費を徴収する。そうすれば別の世界が展開したかもしれない。ポケモンやゼルダやマリオの新作が出るなら、その戦略もアリだったかもしれない。今の消費者はゲームが無料でないとなかなか首を縦に振らないだろう。私はそんな世界を見たくはないが。
しかし任天堂は当然ながらそこまで突き抜ける覚悟はなかったし、必要もなかった。3DSではDS、マジコン、GREE&モバゲーと連鎖した波が断ち切られる事になる。それは任天堂と消費者にとって幸福となるのか不幸となるのか、それはまだ何とも云えない。
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