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2018年4月9日月曜日

サッカー代表監督解任

2018/4/9朝は、日本代表監のハリルホジッチ監督の解任ニュースが大きかった。ブラジルW杯から何も進歩していないというが、その通りだと思う。日本は、歴史的に評価・分析という視点が極めて弱い。日常的になされているべきものであるにもかかわらず在野の論評、所謂下馬評には的確な意見が多いにもかかわらず、だ。スポーツ外の民間企業でも人材を活用できず、海外で初めて人材が評価される事例が散見される。マスコミの分析を見ても「評価の紹介」が多い。スポーツの世界は特に数値化がされやすい。良くも悪くもである。であるならば、監督の基準こそ数値化されるべきだ。結果を出すことが至上命題なのだから。今回監督更迭のタイミングは遅かった。それは否定できない。結果について先送りしてきた判断の甘さを指摘するしかない。大切なのはどのタイミング度の結果を出せなければだめなのか、その基準を客観的に公表する事だ。日本の組織は人に甘く、甘く接せられると海外のベテラン監督でもぬるま湯の中で続投できるものだと考えるだろう。そうではないのだ。日本人はぬるま湯民族で苛烈な判断ができないからこそ、客観的公正な基準を掲げるべきなのだ。サッカー協会の上層部は基準を緩めることなく、いかに達成できるかに頭を絞るべきなのだ。これは監督選考の基準も、最終段階以外は数値化で判断すべきことを意味する。監督区は日本人であるべきか外国人であるべきかなどという議論は意味がない。今求められているのは、現代のサッカーに合致した基準を設ける事である。
古代中国の法家は、法律は人を縛るのではなく、どのようにあってほしいかの国家の願いだと述べた。募集要項もこれに合致するだろう。有名な人間が結果を出すのではない。無名な人間でも基準に合致する監督を選出するべきだし、そうでなければサッカーに限らず日本のスポーツは仲良し倶楽部で終わってしまうだろう。

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